ジョブハンティング! 弁護士、派遣、社畜、銀座ホステス、いろいろやってみた。

元派遣、氷河期世代かつ団塊ジュニアの弁護士が外資系や大中小企業など40社以上で働いた経験をもとに、氷河期世代を取り巻く諸問題、40代派遣・フリーターから正社員へのステップアップのコツ、日々思ったことなどを綴っていきます。

日本人はどこに向かっているのか? - 給料について考える ②実力主義への転換

こんにちは。ヴィヴィアンです。

前回↓は非実力主義について書きました。

vivien-moriya.hatenablog.com

今回は、実力主義にするにはどうすればよいかについて書きたいと思います。

ちなみに、実力主義は人事用語でいうところの「能力主義」や「成果主義」の合わさったものをイメージしていただけるとよいと思います。

前回書いたように、実力主義にはデメリットはほぼないですし、企業にとって利益になるわけですから、実力主義への転換は必須と思います。

 

では、実力主義にするには、具体的にどうすればよいのでしょうか?

 

まずは、この2つでしょうね。

・新卒一括採用をなくす

・解雇規制をなくして仕事ができない人のクビを切る

そして、大事なのは

・パフォーマンスに応じて待遇に差を設ける

・有能な人を有能であると潔く認める

ことでしょうか。

 

目次:

①新卒一括採用をなくす

これは本当に意味不明な慣習ですよね。経済的合理性はまったくありません。

優秀な人がいくらでもいるのに、わざわざ未経験の人を採用して、コストをかけて育てようというのが意味不明です。

 

未熟で無知な若者をあえて採用するというのは、処女信仰に近いものがあるのでしょうか。

男として自信のない情けない男が経験のない又は経験の少ない女性を好むというね。

 

そういえば、日本人は、素人好きと言われていますよね。けっこう前に、何かで読んで面白いなと思ったのですが、日本の新卒一括採用は日本人の素人好きが根っこにあるのではないかという考察でした。例えば、アイドル、とくに、(ちょっと古いですけど)おニャン子クラブとかモー娘。とか歌のへたくそな素人集団が大好き!じゃないですか。日本人て。従順でまっさらな状態の若者を自分好みに仕立て上げたい、自分の色に染めたいという、そういった願望が日本人にあると。なるほどと思いました。。

 

若い人好き、素人好きは、日本人の自信のなさ故なんでしょう。自分に自信がないから自分の立場を脅かすような仕事ができそうな人又はできる人は嫌なんですよね。何も知らない人や経験のない人を自分の下に付ければ、追い越されることもないし、自尊心を傷つけられることもないでしょうし、自分が威張っていられます。

私だったら、優秀な人が身近にいたら、ラッキー!仕事のコツを盗んでやる!分からないこと聞ける!って思います。うれしくてテンションめちゃくちゃ上がると思いますけど。

 

よく、若い人の方が覚えが良いといいますが、これは本人比ではそうであることが多いというだけでしょう。記憶力というのは本当に個人差があります。そもそも、新卒のまっさらな人に一から知識を吸収させるよりも、すでに知識を吸収している経験者を採用する方がはるかに合理的ですよね。つまり、若い人を採用するのは記憶力云々とか吸収力云々いう人がいますが、実はかなりトンチンカンな話なんですよ。

 

経済的合理性がない以上、新卒一括採用は廃止で何の問題もないと思います。

これにより、格差や学歴主義も緩和されていくでしょう。教育費にお金を使う必要もなくなります。

 

じゃあ、大学出たての若者はどうすればよいのか?ふつうに、経験者と同じ中途採用でよいと思います。若い人が不利になるのでは、と思う人もいるのでしょうが、採用される側が不利かどうかなんてどうでもよいことです。企業は有能な人、利益をもたらす人を採用し、利益を出す、それだけです。アルバイトや派遣でいくらでも経験を積むことはできますしね。

 

もっというと、日本の場合、一度採用してしまうと簡単に首を切れないので、大学出たての若者も経験者もみんな紹介予定派遣で仕事の出来を確認してから採用するのが、今の日本の制度の中ではもっとも合理的な方法と思います。

紹介予定派遣は使いにくいと聞きますが、改善するなどしてもっと活用すべきだと思いますね。

②解雇規制をなくして仕事ができない人のクビを切る

書類選考や面接で応募者の実力を見抜くことは不可能です。

書類に関しては、経歴詐称が非常に多いですし、肩書や経歴なんて実力とは無関係ですからほとんど意味がないですよね。

面接では、応募者の雰囲気は少し分かるかもしれませんが、それだけですよね。

 

そんなわけで、採用後、ダメだったとき解雇できるようにしたいですよね。

 

ですが、今の日本では、法律上、仕事ができないというだけでは簡単に解雇が出来ません。

真面目な話、これは本当になんとかした方が良いと思うんですよね。解雇があたりまえの世の中にならなければならないと思います。明日、会社に行ったら自分の席はないかも、なんて、なかなかエキサイティングじゃないですか!

 

なぜ、仕事ができない人、仕事を怠けている人を会社が養わなければならないのでしょうか?

なぜ、彼らの分まで他の人たちが仕事をしなければならないのでしょうか?

 

以前いた職場では、一日30分ほど簡単な業務をするだけの人が1000万円を大幅に超える給与をもらっていました。

対して、私はその人のおよそ半分か3分の1ほどの給与で、その人が本来やるべき業務やその他のできない同僚の業務などを押し付けられ、法務部内のほぼすべての業務を1人でこなしていました。

 

わたし1人でいいじゃん、という話なんですよね。私以外のメンバーは不要でしょ。解雇すべきでしょ。そして、私の給与を上げるべきでしょ。

実は、業務が私一人に極端に偏っているという話を役員にしたのですが、給料を上げるという話はまったく出ませんでしたし、業務の偏りをなくすという話も全く出ませんでした。どういうつもりだったんでしょうね。もちろん、この会社はすぐ辞めましたけど。

 

また、仕事ができないために簡単な仕事や少しの業務しかアサインされない人の場合、本人は自分ができないことに気付いていないことが多いんですよね。これは圧倒的に若い人が多いのですが、非常にやっかいです。

 

解雇を非人道的だのなんだのとヒステリックに非難する人がいますけど、他人の業務までその他人よりも安い給料で働く「私」にさせたり、私一人にだけ仕事をさせることの方がよっぽど非人道的ですよ。

 

労働者の生活がどうとか、ローンがどうとか、子供を養わなければならないとか、そんなの知らんがな。

生活保護もあるし自己破産もありますよ。せっかく国の制度があるのですから利用すればよい。

なぜ、企業が彼らの生活を考慮しなければならないんでしょうか?慈善事業をやっているのではないんですから。

なぜ、彼らがローンや子供の養育費を払うために、iPhoneを買うために、外食するために、旅行に行くために、彼らの子供がお受験するために、なぜ、「私が」働かなければならないのでしょうか?

 

では、解雇された人はどうすればよいのか?

他の会社に行けばよいだけです。

解雇を簡単にできるようにすれば、すぐポストが空きます。解雇できない現在でも人手不足でたくさん好条件の求人が出ていますよ。

雇用の流動化です。椅子の数は決まっています。減ることはありませんから心配無用です。(もっとも、一時的に減ったり、職種によってはAIに取って代わられる可能性はあるかもですね)

雇用の流動化によって、多くの人がチャンスを手にすることができますし、それが格差の解消につながっていきます。富を得たい人は努力してスキルを上げて行くようになります。自分の適性を見極めて職種を選ぶ人も増えるでしょう。適材適所が実現します。恵まれない環境にいても有能な人は活躍するチャンスを得ることができますし、能力に見合った報酬を得るチャンスが増えます。企業も良い人材を獲得するチャンスが増えます。

 

次の仕事を見つけられない人は国で養えばよいのです。企業にダメな人を扶養する義務はないですから、これをやるべきなのは国なんです。今現在の日本は解雇を規制してダメな人の面倒を企業に押し付けているわけですよね。これ根本的にオカシイと思います。ダメな人の面倒を定年まで見させておいて、しかも、賃金上げろって、どういうこと?

 

流動化によって、社内特有のナレッジが共有されないのではと思う人もいるかもしれませんが、もはやナレッジの属人化は時代遅れです。今はナレッジツールがありますので、それを活用すれば全く問題なし、というより、ツールを活用する方が圧倒的に効率的なんですよね。

ナレッジの属人化は、社歴が長いだけの人が重宝され、仕事ができると勘違いするリスクがあります。一方、中途入社者や社歴の浅い人は実力があっても軽視されたりナレッジを共有させてもらえなかったり、十分に実力を発揮できないおそれがあります。結果、企業にとってマイナスです。

③パフォーマンスに応じて待遇に差を設ける

待遇って主に給与ですね。これはあたりまえのことだと思うのですが、日本ではいまだに根付かないですね。

年功制がほとんどですし、中途採用になると一流企業出身者、東大出身者がかなり優遇されているという印象があります。あとは、経験年数が長い人、既婚男性も優遇されているように感じます。いまだに、女性は大黒柱ではないとか高い賃金を求めていないから男性ほどの賃金を払わなくてよいと勘違いしている人がいるように感じます。

 

入社時に給与が低くてもパフォーマンスが高ければ上げてくれるのであればよいのですが、どんなに高いパフォーマンスを発揮しても、多くの企業では給与が上がることはほとんどありません。釣った魚には餌をやらないということでしょうか。逆に、入社時に給与がバカ高くて、入社後ほとんど仕事をしていない人、又はできない人でも給与が下がることはあまりないんですよね。

 

10の仕事をしている人と1の仕事しかしていない人とで同じ給与というのは明らかにおかしいですし、1の仕事しかしない人が10の仕事をしている人よりも高い給与をもらうのなんて、もう、狂ってる!と思うのですが、ほとんどの企業においては当たり前の光景ですし、多くの日本人は疑問に思っていないわけです。それどころか、むしろ、能力が低い人も仕事をしたくない人も高給を得るチャンスがある!とすら思っている日本人も少なくないでしょうね。

 

パフォーマンスに応じて、と書きましたが、これは、当たり前ですが努力は無関係です。努力を給与に反映させるべきではありません。そもそも努力って何ですか?努力なんて、主観的すぎてなんのことか分かりませんし。特に、日本人の場合、残業時間やかけた時間を努力の証と勘違いしている人が少なくありません。でも、これは、客観的に業務量が多い(または難易度が高い)場合は別として、多くの場合、単に無能なだけですから。それを自覚すべきです。

④有能な人を有能であると潔く認める

日本はどこまでも無能な人や怠惰な人を優遇する社会ですよね。

有能な人に対しては、そもそも有能であることを認めないか、嫌がらせしたり足を引っ張ったりするか、安い給料で他人の分まで働かせて搾取するかのいずれかです。

 

これは、けっこう日本特有なのではないかという気がします。

学校でも、全く勉強ができない子もいわゆるギフテッドの子も全く同じ授業を受けさせるじゃないですか。

人間は皆違います。能力もみな違います。生まれながらにして確実に差があります。勉強が全くできない子もいれば、何もしなくてもすごくできる子もいます。でも、日本人は能力差すら認めようとしません。勉強のできる人のことは、必ずと言っていいほど、ガリ勉しているに違いないと悪口を言いふらすんですよね。

 

こういった日本人の性格の悪さとアタマの悪さはすでに子供のころから見られるものですが、このまま大人になった結果が非実力主義なのだと思います。

なんでもみんな一緒。みんな一緒が平等。給料もみんな一緒。

 

能力のある人は認めて、相応の待遇でうまく活用すればよいのです。それが会社のため、社会のためです。会社も良い方向にいくでしょうし、(簡単ではないかもしれませんが)巡り巡って国が豊かになり、自分も潤うかもしれないのです。ですが、日本人で優秀な人の能力を直視できる人はほとんどいません。自分の立場を脅かす存在とみなして、排除しようと嫌がらせしたりする人が多いですね。それ以前に、無能な人や凡人には有能さを理解できないことも多いかもしれませんが。

 

日本人は、他人が自分より優秀だなんてあってはならない、他人が自分より稼ぐなんて許せないんです。だから彼らを認めない。足を引っ張る。これは大きな社会的損失です。よりよい社会のために認めるべきなんです。

 

ただ、社会の上層にいる人たちに有能な人がいれば、有能な人を引き上げることができるかもしれないのですが、残念ながら、上層部にいる人たちに有能な人はほとんどいないように見えます。

 

かなり、根深い問題なのですよ。これまでの日本の社会はほぼ凡人か無能な人だけで回してきた感じですから。非実力主義から抜けるのは簡単ではないと思います。日本人の腐った根性をたたきなおして本当の意味で優秀な人を活用することができれば、何か風向きが変わるかも知れないんですけどね。